目が離せない傾奇者

かぶき者のぼやきをつらつらと。

おばあちゃん、ありがとう

僕はおばあちゃん子だった。

 

幼い時から、稚内のばあちゃんの家に行ったり、小学生の頃家族と一緒に暮らしていたこともあり、いろんな思い出がある。

家を買ったときに、おばあちゃんの部屋があったので、時々家の中で遊びに行っていた。

 

そんなおばあちゃんが先週から体調が悪く、緊急入院したというので、急遽6/29(木)の仕事終わりに飛行機で北海道に帰り、昨日6/30(金)に面会をしてきた。

今は帰路でこの記事を書いている。

 

おばあちゃんは84歳で、最近卓球で肋骨を折ってしまうほどパワフルなおばあちゃんだったのだけど、喫煙していることもあって肺の小細胞に腫瘍が見つかって呼吸器不全になっていたそう。

 

もともと華奢だったのだけど、面会の時は前よりももっと華奢になって、右足に血液が回らなくて青くなっていたり、鼻から酸素を入れていたりして、意識はあるのだけど、話すことが困難な状態だった。

 

2ヶ月前、彼女を連れて帰省して焼肉を食べにいったときは、あんなに元気で言葉も喋っていたのに、2ヶ月でこんなにも体調が悪化しているのを見て、泣かないように決めていたけど、ばあちゃんの前で母親と一緒に泣いてしまった。

 

ばあちゃんは自分のことを認識しているようで、ずっと面会中何か言葉を発しているのはわかるのだけど、うまく聞き取れる声を発することはできなかった。

必死に何を言っているのか聞き取ろうと思ったけどそれは難しかった。

このもどかしさが一番辛かった。

ばあちゃんが何かを話しているのにそれを聞き取ることができない。

 

母親には、「死ぬ時は迷惑かけずに死にたい」と普段からことあるたびに言っていたらしいので、家族でも相談し、延命治療はしないことに決めたのだけど、実際に目の当たりにすると心にくるものがあった。

 

余命は数週間から数ヶ月。

今年を超えられるかどうかは分からないそう。

 

面会の時には、必ずばあちゃんに感謝を伝えようと決めていた。

【ありがとう】は伝えられたけど、面会の時はうまく言葉を見つけることができず、もっと昔のこととか、色んなことを声をかけてあげたかった。

 

こんな重い話を2記事目からあげてしまったけれど、この記事を読んでくれた方に伝えたかったのは、

【周りのお世話になっている人には、伝えられる時に、ちゃんと気持ちを伝えよう】

ということ。

 

いつまでも会えると思っても、突然その日はやってくるんだなぁって今回の件で思った。

今回会うのが最後になるかもしれない、そう思ってもっとばあちゃんと話したりできたらよかったのにな、と思った。

 

これからは後悔をしないように生きていきたい。